みちくさたちの背景

2018年10月5日

2018 秋 5号の「みちくさたちの背景」では、誌面の都合で佐々木さんのおはなしを全文載せることができませんでした。貴重なお時間をいただいてたくさんおはなしいただいたこと、ぜひお読みいただけましたらと思います。
ここに全文を掲載いたしますので、どうぞおたのしみください!

ゼロからスタートの土

表面からあまり深くないところ、30cmとか、一番多いのは、20cmとかそれくらいのところに植物を含めいろんな生き物が住んでいる。自然の状態であればその薄皮一枚にいた生き物は、道路が通ったりビルを建てたりして破壊が起こると、いったん全部いなくなる。同じ土のように見えるが、表面の土を剥がした後に出てくるのは、あくまでも鉱物・ミネラルや岩石が砕けてできた砂なり泥なりで、ほぼそれだけ。そのゼロベースの状態に何か飛んできて、草などいろんな生き物がまた一からやり直す。

リセットの状態から、均衡の状態へ

都市部に生えているものというのは全部、破壊された後にまた一からやり直している連中ということになる。一からやり直しているものもタイムラグがあって、たとえば明治時代くらいからやり直している場所は、そこそこもういろいろ生えてきていて、それこそホタルブクロが生えているような状況になる。それらは黙っていても出てこないもので、いい環境から飛んできたもの。

よかったらぜひ読んでいただきたい「生物の消えた島」という絵本がある。僕らがまだ生まれていない100年以上前のクラカタウ島というインドネシアの島のお話し。ジャワ島とスマトラ島の2つの島の隙間にある小さな島で、100年前にダーンッと噴火が起こり、生きものが一旦ゼロにいなくなった。その島に100年かけてどうやって生きものが戻ってきたかということが書かれている。

生物の消えた島『生物の消えた島』
田川 日出夫 著
松岡 達英 絵
福音館書店 (福音館の科学シリーズ)

 

 

日本というのは、台風や津波などいろいろでリセットしたように見えるところでも、結構ゼロにならない。噴火が起こっても、溶岩に埋まったところにイタドリの地下茎が生きていて出てきた、などということもある。でも、このクラカタウ島の大噴火は、遠く離れた日本でも音が聞こえたとか、なんらかが起こったくらい激しい噴火をしたそう。だから本当に生きものが全くいなくなってしまった。そこにだんだん生きものが戻ってきて、どんどん種類が増えて、お互いの関係が複雑になっていき、今はたぶん普通になっている。

日本の西之島がちょっとしたニュースになった。西之島も噴火が起こり、溶岩が噴き出して何倍にも面積が増えた。その島へ調査に行く学者の人たちが船で行ってそのまま入ると、靴底についた本土のタネがついてしまう。そうすると、自然にどうやって生き物がやってくるかというのがわからなくなる。だから、機材を担いで泳いで行って上陸した。それくらい厳重にしてどうやって変化していくかというのを見ないといけない。

こういう話しは非日常的で壮大な気がするが、山を崩してニュータウンを作るとか、身近でいくらでも起こっていること。そこでスタートしてから、時間が経てば経つほど複雑になる。これを人間に例えても同じことが言える。できたばかりのニュータウンでは、新しい人たちがみんなで住み始めて、最初は人間関係ってほぼない。自治会を作り、なかなかみんな入ってくれないとか最初はそんな感じだがだんだん人間関係ができてくる。これが京都とかすごい古いところだと、あーあそこんちのボンは、あそこのお母さんがなんとかかんとか、とかそういうこんがらかかった人間関係がいっぱいある。鎌倉もそうなんですけどね。

生きものの世界もわりとそういうところがあって、全部リセットがかかると非常にシンプルになる。僕の家の近所で、住宅があった場所が高速道路の工事で立ち退きをして一旦更地になった。地面が剥き出しになって一部は防草シートをかぶせてあるが、他は更地ですごい勢いでシロザが生えてきた。今は2メートル以上に巨大化して全部シロザで覆われている。リセットのかかったところが得意なヤツが生えてくる。更地になったとはいえ、元は住宅で木とか生えていたから土がいい。栄養自体はいいので、「よっしゃ、どんどんどんどん!」と言っていないけど、言っているみたいにどんどんどんどん!と伸びて、短期間ですごい伸びてしまった。本当に木のように。大人でも中に分け入ったら外が見えないくらい。それくらい大きい。

更地になるとリセットがかかる。リセットしてどこまで巻き戻るか。本当に更地だったら時間はかかるけれど、そこの場合はもともと住宅があった土地なのでいい土で、たぶん寝ていたタネがあったんでしょうね。急にシロザが生えてきた。いい環境が現れた!いまだ!いまだ!って。

それでシロザが永続するかというとそうではないんです。最初であればあるほど何か特定のものが圧倒するというのはよく起こる。それがだんだんあっちいったりこっちいったりで、今年はあれ、次の年はこれみたいにしているうちにだんだん種類も増えてきて変わってくる。

アルカリ性が強いセメントなどが撒いてあって、植物が育つ環境でないという時にはそこまであんまり激しくない。ちょっといい環境だとあれが生えて、次の年にはこっちが勝って、次はこっち、次はこっちってガチンコ勝負がある。でもだんだんそれをやっているうちに均衡状態に近づいていく。けれど増えすぎると、今度は足を引っ張り合うようになる。自由にできなくなってくる。あわよくば勢力を伸ばしたいけれどあいつがいるからだめというふうになって、落ち着いていく。

さまざまな規模の「撹乱」

自然の中で噴火とか洪水とか山火事とか、何か破壊が起こる。現在においては人間さまが一番大きな破壊行為というものをやっている。それを「撹乱」という言葉であらわす。撹乱する。台風とか自然災害で、安定していたある状態が一旦ダメージを受けて本当にゼロベースに戻るというのもあるし、ちょっと枝が折れたという小さなものもある。いろんなサイズ、規模がある。

今回の雨なども非常に激しい撹乱ですよね。あれだけ土砂崩れが起きたら、人間も復旧しなきゃと思うけど、植物も、誰が行く?あそこに誰が生える?っていう話し。空いたぞって。もともとあったものは安定していたものだから、すぐには戻れない。まだその段階ではない。いの一番に行くのを待っている連中がいる。

女川の津波の跡を見に行った。水辺の平たいところもあるが、女川は山がちなので、結構谷を登って山奥まで津波が到達していた。そこにはタケニグサが一面に生えていて、本当に見事だった。あれはちょっと忘れがたい量のタケニグサだった。

で、そういうのを人為的に人間もやっている。都市をつくる、畑をつくる、開発をする。それはとりもなおさず「土をはがす」ということ。
(ideallife:その感覚が今日初めてわかりました)

都市づくりで起こるミクロな現象

これは東京時層地図というもので、いろんな時代の地図が出るアプリ。今いる北参道のこのあたりは千駄ヶ谷村なんですね。ちょうどここは谷に向いて、あっちとこっちに斜面がある。ここの高いところに鳩森神社がある。この時代、ここには家を建っているけど、このへんは茶畑だらけ。だけどこれがバブル期に飛ぶと、今とあまり変わらない。ということは、この茶畑があったところは、お茶の木を引っこ抜いて、舗装して、道路を作って建物を建てるということをしたわけです。そうすると、茶畑があった時の土ははがされるか埋められるかして、なんにせよ元の状態ではなくなる。これが、都市ができる、作られるということの、すごく小さいスケールで見たときの現象なんです。

ミクロで見ると、ここに生えていた木が全部抜かれ、土がひっぺがえされた、ということ。江戸時代だったら、ひっぺがえしても土をすき固めてとか、石畳を敷くとか、ナチュラル素材なんですよ。
(ideallife:それなら隙間から出てこられますね)
そう。でも現在は当然アスファルト。明治以降くらいはアスファルトを使いますよね。そうすると、はがした土にまず砂利を敷いて、しかも、コンクリート系の非常に強アルカリのものを敷きます。その上にナッツにチョコがけしたみたいな、砂利にアスファルトをまぶしたほかほかに熱い状態のものをねちょっと塗って、ローラーでゴロゴロとのす。そうすると下から上に出てくるのってなかなか骨が折れる。江戸時代は木でのしてから道路を作るからそういう意味では一緒だが、現在はダメージがより大きい。

自然表層に対してどれくらいイニシャルなインパクトがあるか。どれだけはがしたか、何センチはがしたか、どれくらいの面積をはがしたか。面積は意外と大事。人間の傷も同じ。ちょっとだけの傷ならすぐ治りますよね、でもこのへん全部を火傷したら、死んでしまうこともある。

例えば、原宿は意外とスミレが生きているんですけど、あのへんは小さい家が多くて、大規模にビルを建てるとか、ニュータウンにするとかしていない。長い時代の中でちょこちょこ破壊している。だからスミレなども滅びないで生き残っている。でも、多摩ニュータウンとか港北ニュータウンなどのニュータウンの破壊は広い。港北ニュータウンはわりとましだが、それでも住宅が広くあるところにはもともと自然の中に生きていた植物はすぐには戻れない。広いから時間がかかる。いずれは戻るかもしれないが非常に時間がかかる。

そのように都市というものは、破壊した状態の中に人間が自由自在に設定をしていろんなものを作っている。だけど、完璧な工作物はない。完璧な工作物はどうしてもできない。ビルと道路のすきまの話しをこの本で書いているが、絶対このすきまに一本も入らないという作り方はできない。もしそれを作ろうとしたら、ものすごい巨大な岩をこうして削るしかない。でもその岩だって、時間が経てばクラックが入って穴が開く。だから何か未知の極めて劣化しない素材しかない。
(ideallife:開発されないことを祈る)
そうそう。でもそれは原理的にでき得ないですよね。分子構造がまったく不変の物質ってあるかというと…。金(Au)は相当安定しているけど、でも、物理的なひっかきなどには弱い。やわらかいから。

すきまを見出す「みちくさ」

どんなにかたいものをつくっても絶対にすきまがあく。ビルと道路なんて、道路はアスファルト、ビルはコンクリートで表面に何か塗っていて、異素材ですよね。異素材は絶対すきまがあく。ましてや地面が不動じゃない。地震は起こるし、そうでなくても例えばこのように谷間だったら上からなんらかの圧力がちょっとずつでもかかっている。不動っていうことはやっぱりあり得えない。

それって、自然界で起こるありとあらゆる極限空間と同じ。これは人間がやったことです、これは砂漠がやったから自然ですって、僕らが認識しているだけで、そこにある植物にとっては同じこと。認識しているから知覚されるだけであって、その場に放り込まれた生き物にとっては、そんなのはどっちでもいいんです。いけるのかいけないのか、どっちなんだということ。水は十分あるのか、光は十分入るのか。なんかすきまがあるのか。それがすべて。

この間、世界ふしぎ発見でジブチの話しをやっていた。気温は最大で72℃ある。最高気温が72。さすがに植物は無理だが、バクテリアは生きている。でも、そういう環境もある。普通の砂漠でも50℃くらいはいくし、極めて乾燥している。非常に塩が多い湖もある。死海とかああいうところも中心部は無理だが、ギリギリのところに塩に強い植物が生えるということはある。あとは、超アルカリ性の環境。日本に蛇紋岩という蛇の鱗みたいな模様があるきれいな石がある。でも植物にはアルカリ性が強くて最悪。石灰岩も植物にとってはアルカリが強いのでいやだなって。逆に酸性が強すぎるのもある。あとは高山とか南極北極などの極地。寒すぎる。氷点下まで下がって凍ってしまうと生きていけない。暑いのはいい。暑いといっても70度とかはだめだが。

そこまでではないが、なんやかんやと生きづらい状況、極限の状況になっているというのは街の中でも一緒。だから、高山植物みたいにすごい耐えているなこいつ、という状況が町の中でも見られる。そこにぐっとくる。というのがこの本。ぐっとくるよねというのがこの本なんです。すごい耐えているのもあれば、公園とかでだらーってしていたり、イケイケドンドンのやつらもいる。その加減ですよね。

すきまに生えているよねっていう背景というか意味というのを、人間が破壊したところのすきをついて、なんていうか崩しにかかっているというか。だから、今、生えている草はちょこちょこだが、そこに繰り返し生えていると土が増えてきて、木が生えてくる。木が生えたら今度は根がすきまをこじあげていく。こじあけるとまた違う木が生えてくる。いずれビルが倒れるまではいかないが、かなり壊されるまでいく。

それは誰も止められない。誰も止められないものを、草はいやだと言って草むしりするから大変。流れていこうとするものを、こうやって川に入ってせきとめたらつらいですよね。やったことないけど。川に立ってこうやってやればできるけど、すごいエネルギーがいる。大がかりになる。

ポテンシャルを秘めた、すきまの生命力

すきまに生えてくるというのは、単にすきまにあるということが大事。本当のスタート地点。スタート地点だけど、なんだこの草ってきれいに抜いたりする。そうするとまた一からやり直し。だけど、それを誰かが頼んだわけではないけど、延々と繰り返すんです。抜かれてもまたすきまがあれば生える。そこにすきまがあるから生える。いいとか悪いとかはない。なんですかね。誰も頼んでいないのにすきまに生えて、どんどんどんどん先にいこうとするさまがいいなって思う。月並みな言い方をすれば生命力。

その凶暴さというか。凶暴なんです。それはつきつめれば怖いんです。
(ideallife:植物は無邪気に生えているわけではないですよね。必死)
「無邪気」という言葉自体がすでに内面があることを前提にしている。内面があることを前提にしているからあの人無邪気だよねって。
(ideallife:邪気が無いんですものね)
そう。無邪気は確かにわかりやすい表現ですけど。わかりやすいけれど僕はあんまり使いたくない。

そこはすごく大事。健気とか無邪気ってすごくヒューマンな言葉。
(ideallife:「健気」というのもなんだか憐れみがあっていやなんですよね。彼らは憐れみとか思っていない。NHKのヘウレーカの「なぜ植物はスキマに生えるのか」を観たのですが、彼らはかわいそうなんじゃなくて、あの場所を勝ち取ったのだと。下に水もあるし、太陽に向かって自分たちだけが生えているパラダイスなんだと。健気とは違うと思いました)
そう。まったく健気ではない。例えば、人間が真っ暗なところに置いて、いじめている状況なら健気と言ってもいいかもしれない。それでもあんたは咲くのか。健気だねぇって。100歩ゆずってそれならいいでしょう。

でも、道路のすきまに生えているのは自分が生えることができるから生えている。誰かに頼まれて生えているものではない。例えば、鹿せんべいを持って奈良公園に行くと、すごい勢いで鹿が寄ってきて怖い。まったくやさしくなく、なんの手加減もしないが、それが当たり前。あとはヒッチコックの鳥。なんか知らないけど容赦なく鳥が突っ込んでくる。そこがしびれるポイント。

その、こう突き動かされるままにやっている様がいい。ただ実際は、水はこれしかありませんとか様々なブレーキがある。だからこれくらいでおさまっている。シロザだって、道路もすきまだったらこれくらいの大きさ。でもいい土だったらこれくらい、どんどんどんどんいく。そのどんどんどんどんいくだけのポテンシャルを隠し持っている。だけどその与条件(よじょうけん)が揃わないので、ここまででおさまっている。盆栽なんかそうです。本来50メートルまでいく木を抑制している。変態以外の何物でもない。ものすごい力、ワザを使ってこうして圧縮している。ブラックホールみたいなもの。どんどん圧縮して。

ガリバーじゃないけど、縛られた状態で拘束されているのがこのすきま植物。環境の条件に拘束されている。

(2018年7月9日 北参道にて)

佐々木知幸さん プロフィール

佐々木知幸さん1980年埼玉県生まれ。造園家・樹木医・ネイチャーガイド。

祖母の影響で幼いころから草花に親しんで育ち、千葉大学園芸学部にて植物生態学を学ぶ。現在は、庭園づくりや管理に携わるほか、足もとの植物を愛でる部活動「みちくさ部」を主宰。鎌倉を拠点にさまざまな自然観察会を開いている。

 

 

 

 

著書ご紹介

佐々木さん著書『散歩で出会うみちくさ入門 ―道ばたの草花がわかる!』
(生きもの好きの自然ガイド このは No.12)
佐々木 知幸  著
このは編集部 編集
文一総合出版

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

5号 10ページ「#植物さんぽ 下北沢」
「ゴウシュウアリタソウ」の部分について

補足注意事項です。

「家畜に有害と書いてあるからたくさん食べない方がいい」と記載がありますが、多少でも毒がありますので、「家畜に有害と書いてあるから食べない方がいい」という認識にてお取り扱いいただけますようお願いいたします。

 

 

カテゴリ: リトルプレス “ideallife with plants”  |  0 Comments
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